成田山深川不動尊です。

HPによりますと
・・・・・・・・・・・・・・・・
江戸時代、中でも元禄年間は江戸市民を中心として不動尊信仰が急激に広まっていった。この背景には、経済・商業の中心地としての江戸、またそれを支える町人の経済力の飛躍的な増大が大きな原動力になっていた。このような元禄の町人文化が華々しく開花した時期に、成田山新勝寺は信徒数も増え、また寺格も格式の高い本山へと大きく発展していく。同じ時期江戸町人を中心に成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したい、という気運が高まって、ついに1703年(元禄16年)4月にはじめて江戸でのご本尊の出張開帳(江戸出開帳)が行なわれた。当時は犬公方と知られる五代将軍綱吉の世で、その母桂昌院が成田山の不動明王を江戸で参拝したいと言い出して、それが実現したという説もある。成田山出発の総勢は300人を超える行列が組まれ、江戸まで1週間余りかけてご本尊が運ばれたといわれる。2ヶ月にわたるご開帳は、江戸市民に大きな人気を博したが、この開帳の場所が深川永代寺境内で現在の深川不動堂付近であり、これが深川不動堂の起りである。
・・・・・・・・・・

よいうことです。
朝早くの不動尊ですが,ご近所さんでしょうか? お参りされたり・・少し気さくな印象が漂ってました。
本堂については(これもHPに拠りますと)・・・・・・・・・・・・前本堂は昭和20年3月10日の東京大空襲にて焼失。当時の役僧達によると「ご本尊様だけを運び出すのがやっとだった」と言う。現在の建物は戦後の物資不足の為、新築が断念され、千葉県印旛沼のほとりに建つ竜腹寺(文久2年1862年建立)が移築されたもの。昭和26年落成で江東区最古の木造建築である。・・・・・・だそうです。戦争や天災は,このような寺社仏閣の歴史を,翻弄するようです。
開運出世稲荷でした(うん,祈っておこう!)
青空が広がってきていました。西隣は公園になっていて,ラジオ体操をされてました。東隣は富岡八幡宮でした。